ヒトスキアイ

好きとか愛とかを勘違いしていた。いつ終わるかわからない人生。ずっととか永遠を願っても終わりはいつかきてしまう。それが意思による別れか死による別れかの違いだけで行き着く先は同じなのだ。子供連れの家族を見て、病院で寄り添いながら歩く老夫婦を見て、その完成形に向かおうとしていた。でも、初めから完成形ばかりを見ていても仕方ない。本当は今を、明日を大切にし、ちょっとした心遣い優しさを与える方が先なのだ。遠い未来の確約なんてありえない。そういう小さな積み重ねをしてるうちに気づいたら看取る看取られるの関係になっている。そんものなんだろう。

不透明な未来に理想の壁紙を貼り付けて視えているように錯覚する事は今することじゃない。別れがあるというのは諦めでも悲しみでもない。別れがあるからこそ今を大切にすべきだったんだ。少なくともそうすれば別れても後悔は少なかったはず。別れはつらいが、別れるまでに得たものはいつまで経ってもお互いの宝物だ。二度と会うことがなくても、間違いなく宝物だ。